大阪・堺を拠点に、令和元年に創業。50歳を機に、介護職としてのセカンドキャリアをスタート。社会福祉士を目指しています。

「パッション」
学校で習ったのは、激しい感情や情熱という意味であった。
あと他に、キリストの受難とかいう意味もあるそうな。
(なぜ、同じ単語を使うのか?由来はありそうだが。。。)

ワタシ的には、「ミニマリスト生活」を志す中では、”不要なものを切り捨てて、
「パッション」の赴くのに従って、価値のある人生を送れるようにしよう”とかいう、
本のメッセージ等で多用されているイメージがある。
あるいは、下記のリンクの記事でも触れられているが、
「自分が幸せになれるもので、人生を幸せに生きるためのエンジンであり、
好きだけで終わらないもの」
を、パッションというのだとか。
(個人的には、この説明がしっくりきた)

あなたにパッションはありますか? ボーク重子さんに聞く「幸せな人生の見つけ方」

さて。
それでは、ワタシのパッションとは一体何なのか?
当ブログサイトを立ち上げ、そして中身の見直しを図る上で、向き合うことにしてみた。

あれは、一度目の転職の時。
あの頃は、インターネットの黎明期で、自身でもホームページの作成に夢中になっていた。
インターネットに感じた「自由」の魅力に取り憑かれていたのだろう。
(現在では、「不自由さ」を感じることも多々あるが。)
食品メーカーの営業職に疲れていたころだったので、それこそ寝食忘れて没頭したこともあった。
そこで、食品メーカーを退職し、ホームページ制作の道を進むべく、
専門学校やグラフィックデザインの学校に通ったりして研鑽に努め、
印刷会社のインターネット部門に収まることが出来た。

ただ、何というか、ウェブ制作というのを、仕事にしてしまうと、
思っていたものと全然違うとの印象を持つに至った。
あんなにも夢中になったにもかかわらず、どうも望んだものと違っていたというわけである。
その後、別の食品メーカーに就職し、業務に従事し、
その一方で体を患い、3年間も休職してしまい、
復職後は家族の介護をしながら、契約社員として働いている。

人生100年といわれる今、まさに後半戦に差し掛かる段になって、
ワタシはこれまでの人生を、もう一度振り返ろうと思った。
「これから先、このままで良いのか?」そして、
「ワタシにとっての、パッションとは何なんだろうか?」
ホームページ制作の道に進もうと思ったことは、正解ではなかったが、
ヒントではあるのではないか?
ワタシがやりたかったのは、ウェブデザインという側を作ることではなく、
その「中身」を作りたかったのではないか?
もっというと、ウェブでなくとも良かったのかもしれない。

コツコツと作りこんだりすることは、どうも好きなようである。
ソーンに入るというか、没頭できるというか、それこそ夢の中にいるような気分になれる。
(なるほど。夢中になるとは、こういうことかもしれないな、と。)
あるいは、羽陽曲折はあっても、こうしたブログはどうも継続できている。
一日の中の優先順位も、ワタシ的には割と高いのか、長らく時間を割いている気はする。

最初の転職の頃から20年以上は経っており、あきらめたことや手放したこともあるが、
コツコツとつづけられていることや、残しているものもあるように思う。
それが、物書きというか、執筆屋ということなのではないか?
もっと広義に言えば、ワタシは「表現する」ということに、憧れをいだいているのか?
いつも、(さらには想像の中でも)表現するということに、
ワタシなりの、こだわりと執着があった(ある)のではないか?
とはいっても、役者になるとか、そういうことではなくて。。。

当サイトの、「貢献する」のところでも書いたが、人や社会が良くなるように、
ミッションに従いながら、ワタシはいかに関わっていけるのだろうか?
今はまだ、うまい言葉が見当たらないが。。。
自身の表現の果てに、読者(聞き手)を動かすことが出来れば、と思う。
(説き伏せるとか、そういうことではなくて)
自分の奥底に眠る、自分だけが持つメッセージを、
相手のことを考えてわかりやすく伝えることが出来れば、とも思う。
ワタシの話は、”アナタ”のストーリーかもしれない、と。

過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えることは出来る。
「自分が幸せになれるもので、人生を幸せに生きるためのエンジンであり、
好きだけで終わらないもの」を追求し、表現し続けたいと思う。
当ブログのタイトルを、「全身表現舎キワダチ」と名付けてみた。
そうか、こういうことだったのかもしれないな、と背筋が伸びる思いがする。

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