2019年12月1日、第9回大阪マラソンに参加した。
初めて堺シティマラソン10kmに出たのが、2016年のこと。
ハーフマラソンなどにチャレンジしながら、
ようやく、ここまでたどり着いた次第。
当日、緊張のせいか、腹痛に見舞われ、出発が遅れてしまった。
大阪城についたのは、荷物受付が終わる少し前という。。。
非日常のことなので、やはり不測の事態というのは起こりうる。
着替えを済ませ、荷物を預けたら、直ちにスタート地点に移動。
何しろ、参加人数がすごいので、少しずつ前に進む感じか。
そんなことをしていると、今度は尿意を覚えてしまった。
スタート前に済ませようとトイレに向かうも、何とも長蛇の列であった。
結局、用を足して、スタート地点に向かおうとするも、最後尾に回ることとなり、
実際のスタートまで、またもや待たされることになった。
そして、なにやらわからないうちに、どうもスタートしていたらしい。^^;;
気持ちの高揚っぷり惑わされないよう、歩くくらいのペースでスタートをした。
5km地点に向かう前の、造幣局の手前あたりで、またもや尿意が。^^;;
我慢して走る気にもならず、ここでも順番待ちを覚悟することにした。
5kmの、大江橋付近を南下し、御堂筋に入った。
沿道の応援や、ボランティアの方々の心遣いが、何とも嬉しかった。
大阪のメインストリート・御堂筋はよく歩くが、
さすがに車道を走ることなどはないので。(笑)
見慣れた景色が、妙に新鮮に感じられた。
難波まで来たら右折し、西区方面に向かう。
京セラドーム大阪が見えてきたら、10km地点。
相当抑え気味に走っていたので、まだまだ余裕すら感じていた。
今回の、大阪マラソンの新しいコースの特徴であるのだが、
街中を走る作りにしているので、折り返しが多い。
15km地点が、先の10kmポイントのほど近くにあったくらい。
その後は、なにわ筋を南下するコースを取り、
岸里あたりで折り返せば、20km地点になる。
これでようやく、半分弱かと思っていたら、ここでもまた尿意が!^^;;
これだけ汗をかいているというのに、出るものは出るのか?とあきれつつ、
これまた結構な順番待ちに。^^;;
気持ちを切らさぬようにと気をつけていたら、
数人が痛みなどを訴えて、応急処置を受けにきていた。
20kmも走ると、やはりどうにかなるのかなと思いつつ、
前回の、泉州国際マラソンで走った、ハーフの距離に達したあたりで、
幾分かまだ、余裕があったように思えた。
「案外、行けるのでは?」と思った矢先、脚に痛みを覚えるようになった。
25kmを過ぎ、天王寺方面に向かうべく、再度南下した頃には、
30kmに到達していないというのに、「30kmの壁」のようなものを感じた。
(おそらく気のせいのはずだが。)
それもそのはず。
ワタシ的には、最長不倒ともいうべき距離を走っているので。
抑え気味にと走ってきたが、いよいよ足が進まなくなってくるのを感じた。
そして、30kmを超えたあたりから、いよいよ厳しくなってしまった。
他方、沿道の方の声援というのは、何とも心強いものである。
特に、小さなお子さんの声は、何ともありがたかった。
ハイタッチも大勢の方と行なって、力をいただいた。
また、脚が痛そうに走っているワタシを見て、台湾の方と思しき人が、
エアサロンパスを貸してくれた。
こういうやりとりが、普段はなかなか希薄なので、嬉しかった。
今里筋を走る直線は、何とも厳しいものがあったが、
残りの距離がカウントダウンされてくるタイミングでもあるので、
とにかく、力を振り絞っていた。
鴫野あたりを左折すると、いよいよ40km地点。
こうなると、大阪城が目に入ってくる。
もう少し、あと少しと思いながら、脚を引きずって走った。
大阪城公園内を入ると、カメラ撮影の方が多くいて、
苦しいながらも、出来うる限りナイスなスマイルと
ガッツポーズはさせていただいた。
そして、ゴール。
なぜだが、こみ上げてくるものがあった。
体調を崩し、うつ病にまでなり、
会社を休職せざるを得ないところにまで追い込まれながらも、
自分自身を生き方、スタイルを変えたいと思うに至り、
ちょうどその頃から、少しずつ走り始めた。
4年ほどまえの話である。
それから、このフルマラソンの日を迎え、
ワタシ的には、完全復活のためのランでもあった。
そしてまた、一番しんどかった時期から、サポートしてくれた方々への
感謝のランでもあったと思う。
本当に、よかったと、心から思える体験であった。
今は流石に、足が痛い。^^;;
ただ、こうなると、欲も出てくる。
もっと早く走り抜けたいと思うし、正しく走れるようになりたいとも思う。
昨日のマラソンは、ゴールではなく、スタートであるのだと。