大阪・堺を拠点に、令和元年に創業。50歳を機に、介護職としてのセカンドキャリアをスタート。社会福祉士を目指しています。

「ミニマリスト」という言葉が、新語・流行語大賞にノミネートしたのが、2015年。
別段、それに先んじてということを自慢するつもりはさらさらないが、
ワタシ自身は、2014年10月より、ミニマリスト生活を開始し、現在に至っている。

それにしても、このミニマリストという生活スタイルは、
時に賛否を呼び、時にやり玉にあげられることがあった。
(ワタシ個人が言われたことは一度もないが。)
断捨離をして、身も心もスッキリしたという人が居たかと思えば、
モノを持たない生活というのは、経済を停滞させるという人も居たりした。
あるいは、ミニマリストを名乗っている割には、持ち物が多いとか、
そういうモノ(必需品ではなさげなもの)を持っていて、ミニマリストと言えるのか?など。
ただ、今となっては、選択肢の一つとして、定着した感があるようにも思える。

かくいうワタシは、ミニマリスト生活を実践して良かったと、心の底から実感している。
文字通り、生まれ変わったとさえ思っている。
大げさに言えば、瀕死寸前のところから、大いなる復活を遂げた、そんな感じである。
手放すものと残すものとを吟味する。
それは、「物」だけにとどまらず、生き方や考え方にも及んでくるものである。
それが合う人と、合わない人が居るのは、よく考えれば当然のことともいえる。
ただ、ワタシには良かったというだけなのかもしれない。

ミニマリスト生活について学ぼうと、一時期は書籍をむさぼるように読んだ。
色んな気づきが得られる一方で、ワタシの意向とはちょっと違うかな?ということもあった。
まあ、これも当然のことであるのだが。
ミニマリスト生活というのは、スタイルの一つに過ぎないので、
千差万別があるのが本来と言える。
ただ、個人的に面白いなと思ったのは、
これは私も含めてなのだが、ミニマリストを名乗っておられる方には、
元マキシマリストの方が、結構いる。(笑)
それに、ミニマリストに移行する前は、結構すさんだ(失礼)生活をしている人が
これまた結構居たりした。

明治維新から欧米列強を追いかけて、
江戸時代の頃にあった日本っぽさを捨て去りながら、
富国強兵の名の下で西洋化を突き進み、先の大戦ですべてを失ってしまった。。。
そこからの戦後復興、高度経済成長期を迎えるにあたって、
ジャパンアズナンバーワンとまで言われながらも、
バブルが崩壊し、失われた何十年を経て(まだ脱出していないか?)
今は、健康経営に働き方改革、か。
歴史の揺り戻しとでもいうのか。
とにもかくにも、”ややお疲れ”な方々に、”ちょっと違うぞ?”とか、
”このままでいいのか?”と思うに至った方々に、
「ミニマリスト」というのが、一つの選択肢として、ハマったということかもしれない。
そして、流行語にまで至ったということか。
(繰り返すが、ワタシも含めて、である。)

ワタシにとっては、ミニマリストというスタイルが良かったので、
このことを著すのが生きる証なのかもしれないと思えたのか、
(始めた時は、そんな大それたことは考えなかったが)
当ブログに先駆けて、ミニマリストのブログの執筆を始め、現在も続いている。
こちらもあわせて、お読みいただければ幸いである。

ミニマリスト・ブログ
「或る中年ミニマリストは考えた」

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