大阪・堺を拠点に、令和元年に創業。50歳を機に、介護職としてのセカンドキャリアをスタート。社会福祉士を目指しています。

有意義な人生を送るためには、心身の健康が一大事である。
が!
しかしながら、思えば、随分となおざりにしてきてしまった。。。
若さにかまけて、毎日のように飲み歩き、当時はヘビィスモーカーでもあった。
幼い頃から肥満児であったが、大学時代の頃を除いて、終始太っていた。
(大学の頃は女性にモテたい一心で、無理なダイエットをしていた)
社会人になると、朝早くから夜遅くまで、バリバリ仕事をこなした、
というよりかは、要領も決して良い方ではなかった(今も、ない)ので、
泥沼の、長時間労働者であった。
眠るためだけに家に帰る、そんな毎日が、それこそ男子の厄年あたりまで続いた。
(というか、続けてしまったのだが。。。)

男の前厄といわれる41歳の頃から、体調不良に陥った。
重度の睡眠時無呼吸症候群といわれ、気管支喘息を患い、
家族の介護やら、父親の自殺未遂まで手伝ってか、
いよいよメンタル不調に陥り、うつ病と診断された。
もはや働けるような状態ではなかった。
もう死んでしまうから、休みなさいとでも言われているように、
3年ほど、会社を休職する羽目になってしまったのだ。。。

そんな中、2014年の10月に、ミニマリスト生活に突入した。
何もかもを変えてしまいたくなった。
モノの断捨離と合わせて、自身の断捨離に取り組もうと決意し、
「栄養・運動・休息」について、意識するようになった。
腹六分目くらいを意識して、食べ物の内容も大きく変えるようにした。
食生活アドバイザー資格を取得し、知識も深めようと思った。
休息についても、まずは睡眠を改善しようと思った。
睡眠時無呼吸症候群については、痩せるより他ないのだが、
早寝早起きとか、そういう基本的なことから生活を見直すようにした。

ただ、最難関は、”運動”であった。。。
もともと大の運動嫌い(運動音痴)なワタシである。
子どもの頃から、跳び箱の向こう側の世界は知らず、
鉄棒の逆上がりすら、出来たためしがない。
もちろん走れば、学年で最下位を争うほどのスピードでもあり、
体育の授業はよく仮病を使って、極力回避するような子どもであった。。。

それでも、背に腹は代えられず、少しずつでもと思い、まずは走ることを始めた。
歩くほどのスピードから始めたのだが、人間とは分からないもので、
ランナーズハイとは言わないものの、走る喜びのようなものを覚えるようになっていった。
これは、自身でも驚きでしかなかった。^^;;
今現在も、早く走れるわけではないが、当初からすれば長く走れるようになり、
(タイムはともかくと)フルマラソンを完走できるまでになったのは、大きな自信になった。
そんなワタシも、今やサプリメントまで活用するまでになり、
パワーサプリメントスペシャリストの資格まで取ってしまったのだから、
本当に人生とは、予測がつかないものだと思う。

企業においても、健康経営というのがキーワードである。
これはもう、日本の国家としての課題ともいえるし、取り組み必須事項でもある。
ワタシとしても、これまでの経験を総動員して、
「栄養・運動・休息」について、語ることが出来る人間になりたいと思う。

ちなみに今は、肥満でもメタボでもないレベルにまで身体を整えることが出来るようになった。
リバウンドもなく、我ながら順調にダイエットできていると思う。
が、理想というか、標準値までは、もうあとひと踏ん張り。
ということで、これからも、走り続けたいと考えている。
もし旅に出たなら、旅先でも走ってみたいという、新たな楽しみまで出来た。
というわけで、心身の健康への取り組みから、ランニング事情に至るまで、
当ブログでは、したためるつもりでいる。

※noteにも執筆中
「そして、これからも走り続ける(#スポーツがくれたもの)」

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